片思いが辛い…占いで彼の気持ちが分かったりする?

「恋」にはさまざまな形がありますが、中でも多くの方が興味を持つのは「純愛」ではありません。
もちろん、「純愛」にも多くの方を惹き付ける魅力がありますが、それ以上に多くの方の興味を惹くのが「片思い」です。
始まった時点から相思相愛になることはもちろんあります。
そういった状況を方は「運命」と形容することが多いわけですが、仮に相思相愛だったとしても、恋人関係になるためにはお互いの気持ちを打ち明ける必要があります。

というよりも、そもそも「明らかに相思相愛であることが分かっている状況」というものはあまりありませんから、ほとんどの方は「自身の恋が成就するかどうかわからない」という不安の中で、自分の恋を実らせるために努力をすることになります。
その際、特に女性は「占い」によって恋愛の生末を予想しようとする方が多く居ます。
男性の中にももちろんいますが、比率的にみるとそれほど多くはありません。

毎朝、情報番組では占いが紹介されます。
各チャンネルごとに異なる占い師が出した結果を紹介しているため、基本的にはすべて結果が違います。
時折、非常に似通った結果が紹介されることもあるのですが、片方では1位の運勢だと紹介されているものが、もう一方では最下位の運勢だと紹介されることも珍しくありません。
つまり、この状況から「絶対的なものではない」ということが分かります。

そもそも「占い」とは、古来よりある未来予測の方法です。
天文学、人相学、手相学などを参考に、膨大な統計から導き出される「マジョリティー(多数派)」を提示するというのが一般的です。
未来予測とはいえ、未来予知とは違う以上、「外れることが普通」と考えた方が論理的です。
もちろん、誰にでも当てはまりそうなことを言っておけば「当たった」という印象を与えられることも多いので、「当たる占い」と評価されることになります。

女性に人気の占いとしては、「タロット占い」「姓名判断」などがあります。
要は、恋愛に関する占いなので「相性占い」ができれば良いわけなので、それこそ「運」によって導き出されるものであれば「サイコロを振る」というものでも良いわけです。
相手とどういった関係になっていくのかは誰にも分かるはずもなく、結局は自分の行動(選択)次第です。

スマートフォンアプリなどでも無料で利用できる占いアプリは非常に人気です。
自身の生年月日を登録しておくと、毎日の運勢占いの結果が通知されるため、テレビ番組の占いを見なくともその日の運勢を知ることができます。
また、他の占いの結果も含めて把握し、「一番良い結果を参考にする」という方法もできます。

本来、いくつもの占いを見る行為は本末転倒なのですが、「そもそも占いに絶対的な効果はない」ので納得できる結果が出るまで何度も繰り返しても問題はありません。
初詣などで引くことが多い「おみくじ」は、気に入った結果が出るまで何度も引き直しても良いとされています。

大切なことは結果ではなく、目的に向かって行動する意欲を持つことにあります。
気に入らない結果が出てしまったことで滅入ってしまい、それが原因で悪い結果になってしまったとしてもそれは本人の責任でしかないのですが、気に入った結果が出たと思い込むことによってモチベーションが高まり、精力的に行動することができた結果として思い描いた物が手に入れられる可能性が高まるのであれば、それこそが占いの目的といえます。

片思い中に占いを利用して生末を占うこと自体は何ら問題はありませんが、仮に悪い結果が出たからといって「上手くいかない」というわけではありません。
これは、どれほど人気のある占い師だろうと同じ事であり、「統計的に該当する可能性が高いかどうかの違い」という程度です。

占いの結果、「上手くいく」といわれた場合はモチベーションが高まり、積極的に相手へアプローチしやすくなる可能性があります。
すると、その行動が功を奏して良い結果(恋愛成就)を得られる可能性が出てくるわけですが、どれほど積極的に行動したところで成就しない可能性もあります。

逆に、「上手くいかない」といわれてしまった場合に意気消沈してしまうと、それが原因で積極的なアプローチができなくなってしまい兼ねません。
すると、本来は成功していた可能性がある状況だった場合だったとしても、チャンスを逃してしまうことがあります。
しかし、反骨精神をもって取り組んでいくことによって、成功の可能性が低い恋愛を見事に成就させることもあり得ます。

もし、占いによって相手の気持ちがはっきりと分かってしまった場合、「恋愛の面白さ」がなくなってしまい兼ねません。
「結果がどうなるかわからない」からこそ多くの方が興味を持つわけで、これが分かり切った結果にしかならないとなれば誰も興味を持つことがなくなってしまいます。
要するに、「むしろわからない方が良い」ということです。

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